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MUSIC AS MAGIC!! Singer Songwriter "Mellow Symphony". Welcome to Mellow Symphony's blog

2018/02/17

レーザーにやられた

男子たるもの
いつまでも少年のような部分をどこかに持っていたいものだ


などと勝手に男の子代表めいたことを述べているが、
そうじゃない人がカッコいいことだってあるから、これは多分好みの問題だろう。


幼い頃にした色々な遊びのなかに兄弟で繰り広げた
「銃撃戦」の記憶が残っている。

レーザーガンでの銃撃戦。小さい頃、兄たちと家の中や庭へ出て、
レーザーガンなるオモチャで撃ち合っていた。

レーザーガンはマシンガンのような形の銃のオモチャで、
トリガーを引くと90年代ごろの玩具らしい、マシンガンっぽい音がして雰囲気を盛り上げてくれる。

お互いがズボンに引っ掛けて身につける「的(レーザーを受信する映画に出てきそうな三角のもの)」に向けて撃ち合う。
3回まで受けても平気で4発目を受けると
的から音が鳴り、ゲームオーバーを意味する。


ランボーやロボコップ、ジョン・マクレーンなどなど、ハリウッド映画で見るようなアクションスターやヒーローはいつだって銃をカッコよく使う。

強い男に憧れる少年心としてはレーザーガンはその気になれる格好のアイテムだ。

隠れながら相手の腰に付いている的を狙って撃ち込んだりして。
相手に気付かれずに撃ち込めた時は爽快だった。(大方負けていたけど)


そんな遊びからももう20年以上経っていることになる僕が、
とうとう本物の「レーザー」をくらったのはつい先日のこと。



歯医者へ行ったところ、
処置の最後に先生が「痛かったらいってください」といって何かを患部に当てている。
大抵歯医者さんで「痛いです」と手を挙げることはないのだけれど、
初めて?手を挙げた。


痛いんじゃなくて「熱い」と感じた。

しかも歯や歯茎の辺りではなく唇の辺りが「熱かった」。


先生が「痛い?」と聞くので、気のせいかなとも思いつつ
「いや、なんか唇の辺りが熱いです」と言ったら
「あ、そう。」
といってまたちょっと再開。


「歯を治療してくれているのだから、口の周りが熱いのは気のせいかな」と思いつつ、二回目はちょっと我慢してみたが、一瞬で火傷するときのような感覚に見舞われて思わず手を挙げて足までバタバタさせてしまった。


「あ゛あ゛ぁぁっっっつあ!!」
心の中では大声を出していた。


先生が僕のリアクションを見て、
「はいはいはい、もうおしまーい」と言って即座に処置を終えた。

最後にうがいをした後、先生に「あんな感覚今までなかったんですけど、
さっきのは何だったんですか?」と聞いてみたら、

「あれはね、炭酸ガスレーザー。平たく言えば表面をレーザーで焼ききっちゃうってこと」と言っていた。

僕の唇が乾燥して二箇所くらい切れていたので、そこを治療しようとしてくれたのだろうか…深くまで突っ込まなかったが帰り道「そうか、レーザーを受けたのか…」と思い返してみた。


なんとなくSF映画のキャラかなにかの気持ちになり、

自分は「レーザーにやられたのだ」などと

考えるとちょっとニヤついてしまっていた。

2018/01/26

不自由な日本語の先にあるもの

会話において、自分の日本語が不自由だと感じることがある。

去年の5月に帰国して以来、さまざまな場面でとっさに言葉が出てこなくて
頭の中で「あれ?これ日本語でなんて言うんだっけ??」と考えてしまうことがある。
これまでに僕が話した人の中には気付いた人もいるだろう。

実際、中には
「日本語ではそういう言い方しないよ」と指摘してくれる人や
「カナダ感でちゃってるから」とか「かぶれた感じだしちゃって」
「ルー大柴」「長嶋さん」などなど色んなレベルでそこを突いてくる方々がいる。


はっきり認めよう。


私の日本語は不自由なのだ!


正直、これでもマシになった方だと思う。
当初は身体に染み付いた文化的なものを、日本のやり方に戻すのに苦労した。(一応今は割と戻ってきてると思ってる)

最初はハグと握手の作法などもズレまくっていた。
大好きな友達に再会してハグしようとしたら手が出てきて驚いた。
初対面で会った方に握手しようとしたら「普通に挨拶しろよ」と
横から諭されたこともある。
歩道のない道路を歩くときもどっち側を歩くべきか思い出せなかった。

そういう作法から始まり、言葉には今もしばしば困惑する。

カタカナが英語っぽい発音になってしまうことから始まり、
文法的な語順が少し不自然(英語的)だったり。

厄介なのは日本語も近年どんどん英語をカタカナにして
取り込んで会話している人もたくさんいるから、
英語をカタカナにすれば通じる場合もある。(無駄に意識が高い系の方と思われてしまう可能性はあるが)

日本語でなんていうか分からない状況は少しずつ減ってきたが、
日本語より英語のニュアンスがしっくり来てしまう場合、どうやって置き換えるのが適切か考えるのに時間がかかる時がある。

なんだろう…例えば
Dealとかね。(deal with + 名詞みたいなやつ)
Judgeとか?(判断するみたいなニュアンスなんだけど、人の性格を判断するような時に使うやつ)


つまりこうも言える。

「日本語だけでしゃべろうとすること自体がそもそも不自由」なのだ。

世界中にある多様な価値観に相対するには一つの言語だけじゃ難しいんだよね、多分。
日本語をどれだけ知っていても、必ずしも万人と思いを通わせることができるかと言ったらそうじゃないように。


どんな言葉を使っていても通じ合える人はいる…と。
そういう人を大切にしたいね。
いつもその人たちと対話することが正解とは思わないけど。そういう相手はありがたい存在なんだと思う。

なんかイイものが築けるキッカケになるかもね。

2018/01/21

もう一歩

1月20日を無事迎えることができて、感謝している。
自分の家族やいつも近くにいてくれる大好きな人たち、尊敬する人たちのおかげで穏やかに、自分なりの新しい瞬間を迎えられたのだと思う。

SNSから離れていく人がしばしば散見される中で、未だに遠くから祝いの言葉をかけてくれる人がいるのもまたその恩恵でもあるのだと思う。それがなくてもお祝いしてくれる人は本当に有難い存在だ。

さて、この一年はどうやって生きて行こう。
僕の人生はなんかのカーブを曲がったりしているのだろうか、そんなことは分からないし、分からなくもいいのかもしれない。
ただ自分なりになかなか難しい、予想が難しい人生を生きてきていると思う。それはみんなもそうであるように。

人生はなかなかおもしろい。
誰一人として僕と同じ人生や価値観などなくて、
誰一人僕のそれが正しいとか間違いだとか決められる人はいない。

ちょうど谷川俊太郎さんのりんごの詩のようだ。(りんごという字並びがついつい自分の名前を連想させる)


これからも、それを友達が「旅」と比喩してくれたように、僕は僕の人生の旅を満喫したいと思う。まだまだこれから辛いことや難しいこと、悲しいことも起こり得るだろうけど、感激すること、心底喜ばしいこと、わくわくする新しいこと、素敵な出来事にもたくさん出会えるはずだと思うし、そうあるように生きていけると思う。

学んで、挑戦して、日々に感謝して、人を大切にしていきたい。

・Be Positive
・Be Calm
・Be Creative

そんなことを思いながらも、
もっと笑って、もっと感動していきたいし、
もっと賢く、もっと優しくなりたい。
そして自分の持ちうるものを使って、誰かに何かを与えられる人間でありたい。

そして、音楽とこれからも仲良くありたい。

この年もまた良い一年にできるよう、
それから目指す未来に向かって少しずつ進むめるよう、
楽しみながら頑張ろう。


新しい一年のはじめに。