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2017/06/07

聞いてはいけない

先日友達と話をしていて、とても興味深い、ある一つの日本人特有の文化らしきものの存在を思い出した。

友達があるものをくれるという。
「もう自分は要らないから、あげようか?」というので、有り難く頂きたいと返事をした。
ただ友達は「別の友人から譲り受けたものだから、古いし、使用感がある」という。
それでもいいから頂きたい、幾らで譲ってくれるのかを聞いた。

友達は「金など要らない。ただ本当に使い古したものだからね。」と念を押された。
そこで「別にどっか壊れてるとことかないでしょ?」と僕も念を押し尋ねると、それはないとの事。

友達ってありがたいなぁ、と思っていたら後日「この前のやり取りなんだよ」とその友達(怒っているのではなく、あくまで友達として言ってくれている)。

”幾らで譲ってもらえるの?” とか ”壊れてるところがないのか?” とか…聞くまでもないだろう、と。


でも、聞かなくちゃ分からないじゃん。

と言うとそこで
「でも聞いちゃったらそれはそれでアレだろう…」と。

あー!!!

そういうのあった!とその時思い出した。

北米で暮らしていた時、よく言われた事がある。

「聞いてみたら?」

暮らし始めた当初、それを言われる度によく思っていた。

そりゃ聞けたら楽だけど、それを聞いちゃいけない気がしてるからどうしたらいいかって考えているんだよ…って。

(この気持ちを説明できるようになるのにまず時間がかかったが)説明しても彼らにはよく分からない。

聞いた方がいいなら、とりあえず聞いてみればいいじゃん。なんで躊躇う必要があるの?

この手の状況に出くわす度に、日本人は物事を難しく、複雑化して、考え過ぎているのかな…と感じた。

そして彼らカナディアンが、日本人の文化を理解しているかいないかに関わらず、これは一種の「複雑化してしまった状況に対する、単純化した解答」のように感じられた。

そうして事あるごとに、行動を起こす前に思案する僕に「とりあえず聞いてみればいいじゃん」と投げかけてくれて、「そうか、とりあえず聞いてみよう」と繰り返してきた。


それが身体に染み付いていること。
そしてそれが日本人にとっては少し違うのだと言うこと。
言いようによっては、質問そのものが相手に対する不信感の表明のように受け止められる可能性があること。

質問をした瞬間、その話が(最悪のケースとして)破断になる可能性もあるということ。またその可能性が北米に比べて高いこと。


ステレオタイプ、アサンプション(思い込み)、慣習、常識感、倫理観、性格


大きなところから、小さなところまで、人間の考え方は本当に多様で、どこに自分をカスタムしたり、どこにアジャストしていくのか、またはそうしないのか、


その選択が君の一部を形作る。
そしてもしかしてそれはただの外側に過ぎないかもしれないし、それが人間の大部分を占めることにもなり得るのだろう。



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